じゃばらの歴史
それは一本のナゾの木から始まり、一人の村民の心から伝わった
そもそもじゃばらは、この村の一人の村民の敷地に一本だけ自生する自然雑種。
「へんなみかんが育つ。でもそれが独特の味で美味い」。
原木の持ち主でもある福田国三さんが子供から慣れ親しんだ味として広めようと立ち上がったのが歴史のスタート。
しかし当初は誰も注目せずなかなか広がることはなかったのですが、熱い心の持ち主の福田さんはあきらめません。
「じゃばらの味、香りは他の柑橘類よりも優れている。じゃばらの栽培はきっと村を過疎から守る産業となりうる」として、村長をはじめ村議会にも積極的に働きかけを続けていきました。
世界に類のないまったく新しい品種
そんな福田さんの情熱は、活動を始めた数年後、昭和46 年から実を結び始めます。
その年の秋、みかんの分類で有名な権威者田中論一郎博士に村が調査を依頼。翌年の47年、現地にて花の分析など専門的な調査、研究の結果、じゃばらは国内はもとより世界に類のないまったく新しい品種であることが判明したのです。
さらに、紀南かんきつセンターに依頼し、成分の分析やその他の特性調査等を行いじゃばらそのものの特性・個性を解明すると同時に、味については料理の専門家が試食。日本でここだけの柑橘に多くの料理専門家が驚き、個性的なじゃばらの味は可能性の広がりを伝えるとともに高い評価を得ることに。結果、村が動き、同年の秋に農園の規模を拡大してのじゃばら栽培に踏み切ることに至ったのです。
これは耕地面積が極めて少なく、産地化するだけの決定的な作物を見出せずにいた村が、じゃばらを評価し、8年を費やし、北山村の特産物として育てるということも意味していたのです。
その後は、昭和52年農林水産省に対して農産種苗法による品種登録を出願、2年後の54年には現地調査が行われ、種苗名称登録許可を取得。
村を変えた「じゃばら」
今では、じゃばらの知名度が全国区になり、村の一大産業となったこと役場そのものの意識も変化。じゃばら農家では、村の子供達に栽培について知ってもらうための取り組みが行なわれたり、村の財産として次世代に引き継ぐため、村内の小中学校に苗木を植える活動を実践したり・・・。これまた村の伝統産業でもある「筏下り」の後継者に栽培を委託するなど、村の雇用対策や農業後継者の育成へとつなげる活動が村をあげて本格化しています。