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 紀伊半島の南東部、山深いところに位置している北山村周辺は、古くから良質の杉に囲まれた林業の盛んな地域でした。
  道路などの交通網が発達していなかった時代、切り出した木材を材木市場のある河口の新宮市に運ぶ手段として、材木を組んだ筏を村内の北山川に浮かべ、筏師が それに乗って下るという、筏流しが行われていました。
  そんな、筏師が住民の大半を占める村、それがかつての北山村の姿でした。


 北山川の筏流しは600年の歴史を持つといわれています 。
 北山村内には、北山川の中でも有数の難所と言われる場所が、数か所ありました。
 そのため、北山村の筏師は、激流でも木材を傷つけずに下るための技術が非常に高かったと言われています。
 その技術の高さからか、戦前には中国と北朝鮮の境の川「鴨緑江」まで、北山村の筏師が筏を流しに出稼ぎへ行きました。現地では盗賊・馬賊に襲われた、という逸話も残っています。

 北山川の筏師と他の地域の筏師との違いは、筏を操るのに竿ではなく櫂 (かい)を使ったことでした。
 川幅が狭く流れが速い北山川では、丈の長い竿では邪魔になるため、ボートを漕ぐオールのような形をした櫂を使って難所を切り抜けていました。
 この櫂の材料に使われていたのは、ホオノキでした。川の水も凍ってしまいそうな冬でも、ホオノキでできた櫂ならば、水に濡れても凍ることが無かった、と言われています。

 

 



 筏流しは昭和40年代まで行われて、最盛期には数百人の筏師が北山村に住んでいました。
 村民も現在の倍の1000人以上いましたが、昭和40年代に入ると、北山川水系もダムができ、また、道路が発達したことによって木材の運搬はトラック輸送に変わり、木材運搬のための筏流しはもう見られなくなってしまいました。
 それに伴い、筏師も仕事を求めて村外へ引っ越していくなど人口が流出し、村民の数も500人あまりまで減ってしまいました。


 
ダムによって一度は途絶えかけた伝統技術・・・
 ですが、元筏師や村民たちの努力により、昭和54年、観光客を筏に乗せて川下りを行う北山川観光筏下りとして復活することとなりました。
 以降、毎年5月初めから9月の末まで、村民人口の10倍以上の観光客が訪れる夏の風物詩として、小さな村の大事な観光資源となっています。
 平成20年度には開航30周年と、歴代乗客数15万人達成という記念すべき年を迎え、この年の開航式には前代未聞「筏の上で結婚式」と題し、本物の新郎新婦が白無垢と袴姿のまま筏下りを行うというイベントも行 いました 。
 かつて全国に名をとどろかせた北山村の筏流しはもう見られなくなりましたが、その伝統技術は 「北山川観光筏下り」に姿を変え、今も村に生き続けています。

北山川観光筏下りの詳細はコチラ
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